・ 【今日帰ると決めました】
リンゴ屋さんに挨拶して帰ろうと駐車場を見まわしましたが、車はありません、どこへ行ってしまったのでしょうか
放浪の達人ですからどこぞのお風呂にでも行ってしまわれたと思います
道の駅では目づらしく「めばちマグロ」が売ってました、それも210円という価格でしたので早速購入しましょう
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・ 【道の駅では「びんちょう」以外に「めばちマグロ」も売ってました】
街で売られている安いお刺身は圧倒的にあっさりしたびんちょう鮪が多いのですが、こちらは少し脂が乗っています
ミカンの販売店もあって超お買い得のお値段でした
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・ 【kg30円のミカンでしたが5,6個入ってました】
市場に出荷できないハネ物ですが、美味しいお味でお買い得でした、うなぎの香りがしみ込んだお弁当も頂きましょう
(御飯が暖かく、毎回違った内容のお弁当であって手作り感があり美味しく頂きました)
新鮮野菜もあって開店に合わせて車が出入りして、お目当ての品を買っていきますので早々に売れていきます
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南紀は暖かい所で九州や四国より暖かいとキャンパー族は言いますが、真冬なのでガスヒーターを一応出してみます
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・ 【南紀は暖かいけれど朝晩は冷えます】
出さなくても良いのですが、使ってみました
車の中で一人で寂しい食事ですが、マグロの刺身を朝から掻っ込んで贅沢な食事となりました
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・ 【うなぎまむし弁当とお刺身の贅沢な食事でず】
一人で食べてはもったいないのですが知り合いは出発して行きました
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昨日案内されなかった所を見学しました、道の駅には那智大社や熊野古道の資料がありました
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・ 【大門坂を歩く平安時代の優雅な衣装です】
雅な衣装ですが、本当に草履履きで熊野古道を行き来きしたとはにわかに信じられません
熊野古道は階段の多い坂道が続いています
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・ 【夏は暑くて登れないと思います】
中には女人禁制の路もあるのです、今でも女性は行くのをためらうようでした
京都からの紀伊路、高野山から小辺路、吉野からの大峯奥駈路、伊勢から伊勢路、中辺路、大辺路、大門坂の参道と熊野本宮大社に終結するのです
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・ 【熊野古道は何本も走っているのです】
全部を歩くのは至難の業です、資料を沢山持ち込んでルートを確認している女性もいました
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ここも熊野本宮手前になる那智の伽藍です
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・ 【那智曼荼羅です】
ここを目指してもう一歩さきに行きましょう、熊野本宮大社までは古道を使って40分の道のりです
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「補陀洛山寺(ふだらくさんじ)は和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にある、天台宗の寺院。補陀落とはサンスクリット語の
観音浄土を意味する「ポータラカ」の音訳である」
紀伊の国からインドを目指して良いものでしょうか
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・ 【極楽浄土を目指して出発したお寺さんです】
「遥か南洋上に「補陀洛」が存在すると信じられ、これを目指して船出することを「補陀洛渡海」と称した。
記録に明らかなだけでも日本の各地(那珂湊、足摺岬、室戸岬など)から40件を超える補陀洛渡海が行われており、
そのうち25件がこの補陀洛山寺から出発している。」
粗末な船ですから紀伊の入り江を出たとたんに転覆したと予測できます
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・ 【渡海した船の模型です】
「船上に造られた屋形には扉が無い。屋形に人が入ると、出入り口に板が嵌め込まれ外から釘が打たれ固定されるためである。
その屋形の四方に4つの鳥居が建っている。これは「発心門」「修行門」「菩薩門」「涅槃門」の死出の四門を表しているとされる。
渡海は北風が吹き出す旧暦の11月に行われた。渡海船は伴船に沖に曳航され、綱切島近くで綱を切られた後、朽ちたり大波によって沈むまで漂流する。
もちろん、船の沈没前に渡海者が餓死・衰弱死した事例も多かったであろう。しかし、船が沈むさまを見た人も、渡海者たちの
行く末を記した記録も存在しない。」
何とも無謀な行動だと思います
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・ 【極楽浄土より口減らし現実だったのでは無いでしょうか】
「初期は信仰心から来る儀礼として補陀洛渡海を行っていたと考えられている。平安・鎌倉時代を通じて6名が渡海したと、
補陀洛山寺に建つ石碑に記されている。これが戦国時代になると60年間で9名もの渡海者が現れたという。
この頃になると、熊野三山への参詣者が減少したことから、補陀洛渡海という捨身行によって人々の願いを
聞き届けるという形で宣伝され、勧進のための手段としての側面が現れたとされる。」
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もっと那智にいたいのですが、僕には伊豆に帰って木を切ったり芝の手入れや掃除などの現実があるのです、後髪ひかれつつ那智を出発です
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・ 【午前中には伊豆を目指して出発です】
知り合ったキャンパーさん達は今週末に開かれるマグロ祭りまではいるそうです、伊豆のへそで僕を見た人まで現れました
松阪から高速道に乗って名古屋湾岸を走って、再び刈谷SAでお安みです、来るときと違って終末は大型トラックも少ないのです
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・ 【車中泊所は来た時と同じ刈谷SAにしました】
来るときは平日で大型トラックが横付けされてドアが開かなくなりました
(刈谷SAには観覧車があってお風呂にも入れるのでした)
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リンゴ屋さんに挨拶して帰ろうと駐車場を見まわしましたが、車はありません、どこへ行ってしまったのでしょうか
放浪の達人ですからどこぞのお風呂にでも行ってしまわれたと思います
道の駅では目づらしく「めばちマグロ」が売ってました、それも210円という価格でしたので早速購入しましょう

・ 【道の駅では「びんちょう」以外に「めばちマグロ」も売ってました】
街で売られている安いお刺身は圧倒的にあっさりしたびんちょう鮪が多いのですが、こちらは少し脂が乗っています
ミカンの販売店もあって超お買い得のお値段でした

・ 【kg30円のミカンでしたが5,6個入ってました】
市場に出荷できないハネ物ですが、美味しいお味でお買い得でした、うなぎの香りがしみ込んだお弁当も頂きましょう
(御飯が暖かく、毎回違った内容のお弁当であって手作り感があり美味しく頂きました)
新鮮野菜もあって開店に合わせて車が出入りして、お目当ての品を買っていきますので早々に売れていきます


南紀は暖かい所で九州や四国より暖かいとキャンパー族は言いますが、真冬なのでガスヒーターを一応出してみます

・ 【南紀は暖かいけれど朝晩は冷えます】
出さなくても良いのですが、使ってみました
車の中で一人で寂しい食事ですが、マグロの刺身を朝から掻っ込んで贅沢な食事となりました

・ 【うなぎまむし弁当とお刺身の贅沢な食事でず】
一人で食べてはもったいないのですが知り合いは出発して行きました


昨日案内されなかった所を見学しました、道の駅には那智大社や熊野古道の資料がありました

・ 【大門坂を歩く平安時代の優雅な衣装です】
雅な衣装ですが、本当に草履履きで熊野古道を行き来きしたとはにわかに信じられません
熊野古道は階段の多い坂道が続いています

・ 【夏は暑くて登れないと思います】
中には女人禁制の路もあるのです、今でも女性は行くのをためらうようでした
京都からの紀伊路、高野山から小辺路、吉野からの大峯奥駈路、伊勢から伊勢路、中辺路、大辺路、大門坂の参道と熊野本宮大社に終結するのです

・ 【熊野古道は何本も走っているのです】
全部を歩くのは至難の業です、資料を沢山持ち込んでルートを確認している女性もいました


ここも熊野本宮手前になる那智の伽藍です

・ 【那智曼荼羅です】
ここを目指してもう一歩さきに行きましょう、熊野本宮大社までは古道を使って40分の道のりです


「補陀洛山寺(ふだらくさんじ)は和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にある、天台宗の寺院。補陀落とはサンスクリット語の
観音浄土を意味する「ポータラカ」の音訳である」
紀伊の国からインドを目指して良いものでしょうか

・ 【極楽浄土を目指して出発したお寺さんです】
「遥か南洋上に「補陀洛」が存在すると信じられ、これを目指して船出することを「補陀洛渡海」と称した。
記録に明らかなだけでも日本の各地(那珂湊、足摺岬、室戸岬など)から40件を超える補陀洛渡海が行われており、
そのうち25件がこの補陀洛山寺から出発している。」
粗末な船ですから紀伊の入り江を出たとたんに転覆したと予測できます

・ 【渡海した船の模型です】
「船上に造られた屋形には扉が無い。屋形に人が入ると、出入り口に板が嵌め込まれ外から釘が打たれ固定されるためである。
その屋形の四方に4つの鳥居が建っている。これは「発心門」「修行門」「菩薩門」「涅槃門」の死出の四門を表しているとされる。
渡海は北風が吹き出す旧暦の11月に行われた。渡海船は伴船に沖に曳航され、綱切島近くで綱を切られた後、朽ちたり大波によって沈むまで漂流する。
もちろん、船の沈没前に渡海者が餓死・衰弱死した事例も多かったであろう。しかし、船が沈むさまを見た人も、渡海者たちの
行く末を記した記録も存在しない。」
何とも無謀な行動だと思います

・ 【極楽浄土より口減らし現実だったのでは無いでしょうか】
「初期は信仰心から来る儀礼として補陀洛渡海を行っていたと考えられている。平安・鎌倉時代を通じて6名が渡海したと、
補陀洛山寺に建つ石碑に記されている。これが戦国時代になると60年間で9名もの渡海者が現れたという。
この頃になると、熊野三山への参詣者が減少したことから、補陀洛渡海という捨身行によって人々の願いを
聞き届けるという形で宣伝され、勧進のための手段としての側面が現れたとされる。」


もっと那智にいたいのですが、僕には伊豆に帰って木を切ったり芝の手入れや掃除などの現実があるのです、後髪ひかれつつ那智を出発です

・ 【午前中には伊豆を目指して出発です】
知り合ったキャンパーさん達は今週末に開かれるマグロ祭りまではいるそうです、伊豆のへそで僕を見た人まで現れました
松阪から高速道に乗って名古屋湾岸を走って、再び刈谷SAでお安みです、来るときと違って終末は大型トラックも少ないのです

・ 【車中泊所は来た時と同じ刈谷SAにしました】
来るときは平日で大型トラックが横付けされてドアが開かなくなりました
(刈谷SAには観覧車があってお風呂にも入れるのでした)

