・ 【栃木の母の所では寝る部屋まで用意してくれました】
東京の渋滞に捉まりたくないので朝早く出るためにあえて車で眠りました、今や秋になっていて早く起きても
苦手な夜間走行になってしまいました、古河の道の駅で仮眠していたら結局5・10日の大渋滞に捉まって
9時過ぎまで戸田のマックで渋滞回避退避を余儀なくされてしまいました
環八、第三京浜、横浜から環状2号を通って我が家に到着でした、先に帰っていたママがいてもう帰って来たの!
と帰って来たのが悪いみたいでした、貴方の残した洋服やお土産が車に積んでありますし、忘れ物もありますよ
(家に着いてお土産を分配です)
・ 【お土産を渡しに出向きます】
お嫁さん、受験生の長男、ひ孫までいて皆さん元気にやっていたようです、いわゆるスープの冷めない距離に
長男は家を構えています、この50日間でひ孫は保育園に行くようになっておりました
車旅はここで終わりではないのです、これから伊豆に行って車を置いたら長い旅が終わるのです
(湘南バイパス、西湘バイパス、真鶴道路を使って伊東まで行きます)
・ 【車の走行も15万7000kmになろうとしていました】
伊豆を出発したときは15.3万キロだったと思います、4千キロの長旅をキャン太君も故障なく走ってくれて感謝です
旅は横浜で終わりでなく、伊豆まで帰ってこそ終わりなのです、最近の高速道路のトンネルは長かったけれど無事に走破してくれました
(夕暮れに着いて、留守中の面倒を見てくれたお向かいのN様にありがとうです、お土産を渡すと餃子が返って来ました)
エビで鯛を釣った気持ちでした、隣地とはいえ、青々とした松の木は松くい虫やられて枯れ松になって夥しい落ち葉ですし、手入れの
悪い庭や次男の食べ残しが散らかってこの先が思いやられます
(彼は彼なりに庭を面倒見たようです、イノシシさんが暴れてなく、隣家の畑に回っていたようです)
・ 【車を駐車場に入れると今夏の車旅がお終いです】
帰りは伊豆急電車に乗って伊東駅まで行き、熱海で乗り換えてJR線で小田原、小田急線に乗り換えて海老名を通って
相鉄線で弥生台迄戻って就寝でした
(今日は栃木から出発して伊豆まで北海道旅の一環として一番長い距離を走りました)
足掛け3か月に及ぶ長い旅でした、最初は母と一緒の栃木での一週間でした、一度伊豆に戻ってそれから出発で8月後半となってしまい
9月、10月と楽しみました、途中からママも旭川空港に飛んで来て一緒に旅を続けました、ママは一般的観光の北海道が好きな様子です
僕は生まれが北海道ですから札幌などの都会は出来るだけ避けて、寂しいキャンプ場や密かな居酒屋によってご主人の話を聞くのが
最上と思ってます、生まれた故郷の旭川では親戚や友に合って昔を偲ぶこともできました
(霧多布キャンプ場のような寂しい所も好きですが、地元民とも話せるのも好きなのです)
最初ホテル泊を希望していたママも車中泊で十分楽しめたようです、ワイルドな暮らしもたまには良いのですし、僕には友人と
旧交を交わせて老後の人生を振り返れました