・ 【「こぶし」の花の時期も短いね】
久しぶりに歩いて駅にでますと、真っ白な遊歩道ができ上がっていました、今回は雨のため
電車で戻っていますから伊豆行きも電車となります、駅まで遊歩道を歩いていきますと
突然遊歩道が白く輝いていました、20年も住んでいるのに今まで気がつかなかった景色が目に飛び込んで来ました
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高い地価の住宅地を開墾して農園をやっている方がいました
(売れないほど高くなった地価というのは問題です、民間デペロッパーいうのは買った値段に
儲けが上乗せできない場合は塩漬けにします、従って空き地ができてしまうのです)
バブルも崩壊して土地・建物は半値になっています、安く分譲すれば人も増えます、
今やわが町にも高齢化少子化の波が押し寄せて小学校入学クラス数は3クラスと聞いております
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・ 【駅に続く遊歩道には「こぶし」の街路樹です】
僕は45年前に横浜に流れてきて、南区、港南区と渡りあるいて、この地に住み始めました
元は山林でしたが、今では新興住宅地ととして私鉄も通ってますし、大きな病院まであります
お寺さんもあって「ゆりかごから墓場まで」揃っているのです、街として立派にはなりました
住民の大半はサラリーマンの街で「隣のご主人の顔も知らない」のです、ママは大分県、僕は北海道で
生まれましたから全く地縁のない所となって通常は駅と会社を往復するだけです、
僕の場合はバイク通勤でしたから遊歩道を使わないまま今日まできてしまいました
(街区の住民は16世帯あります、従って自治会の役員も16年に一度回ってきますが
2回目の役員(班長役)は去年終わりました)
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子供の教育はママがしてくれましたので僕が近所の人を知るのは役員を任された時だけでした
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・ 【しかも伊豆行きの大半はバイクでした】
20年も住んでいると行きかう人は知っているはずですが、街は大きく役員時代に知り合った
人と巡りあうのは皆無なのです、追い抜いていく人、向かってくる人は馴染みではありません
お爺じいちゃんがいたり、お婆ちゃんがいたりですが、高齢者はほとんど家からでません、介護で大変だったり
子供の成長にも何かしら問題があるはずです、問題はあるのにプライバシーは完全に守られて
お隣さんに相談する事はありません、味噌や醤油のやり取りもありません、挨拶程度は交わしますが、
皆さん見ず知らずの行きずり人達なのです
(会社勤めをしていた頃は全く人の交流がない街でありました)
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ママはこの町に住むのが好きなようです、田舎で生まれても都会が好きな方がいます
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・ 【近所に素敵な街路樹があるなんて20年間知りませんでした】
僕はどちらかといいますと北海道でも都会に住んでいましたが、田舎人が性にあっていると思い
伊豆の地を購入致しました、近くに海・山・川の自然がないと落ち着かないのです
ママも伊豆の地が好きですが完全にリゾート感覚です、現役で働いていますから、
この地で生活してストレスが溜まったら伊豆へという感覚でしょう
(僕は伊豆しか終焉地は無いような気がしています、伊豆に通うようになって16年住民表こそ
移していませんが、伊豆の住民なのです)
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「こぶし」の眺めを見ていますと住んだだけとはいえ、藤沢にお墓もありますから「ふるさと」に違いありません
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・ 【「こぶしの花」は伊豆では散っていました】
僕には2つの身近な「ふるさと」がある贅沢を享受していると考えていいのではないでしょうか
横浜の地元には3人の息子もいてそれぞれ近くにおります、兄弟も仲が良く孫も200mの距離にいます
俗に「スープの冷めない距離」なのです、日曜日に本宅に帰って、火曜日から伊豆に住む2重生活、
伊豆の比重が高くなっても、この街は僕にとって貴重な「ふるさと」と気がつきました
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久しぶりに歩いて駅にでますと、真っ白な遊歩道ができ上がっていました、今回は雨のため
電車で戻っていますから伊豆行きも電車となります、駅まで遊歩道を歩いていきますと
突然遊歩道が白く輝いていました、20年も住んでいるのに今まで気がつかなかった景色が目に飛び込んで来ました


高い地価の住宅地を開墾して農園をやっている方がいました
(売れないほど高くなった地価というのは問題です、民間デペロッパーいうのは買った値段に
儲けが上乗せできない場合は塩漬けにします、従って空き地ができてしまうのです)
バブルも崩壊して土地・建物は半値になっています、安く分譲すれば人も増えます、
今やわが町にも高齢化少子化の波が押し寄せて小学校入学クラス数は3クラスと聞いております

・ 【駅に続く遊歩道には「こぶし」の街路樹です】
僕は45年前に横浜に流れてきて、南区、港南区と渡りあるいて、この地に住み始めました
元は山林でしたが、今では新興住宅地ととして私鉄も通ってますし、大きな病院まであります
お寺さんもあって「ゆりかごから墓場まで」揃っているのです、街として立派にはなりました
住民の大半はサラリーマンの街で「隣のご主人の顔も知らない」のです、ママは大分県、僕は北海道で
生まれましたから全く地縁のない所となって通常は駅と会社を往復するだけです、
僕の場合はバイク通勤でしたから遊歩道を使わないまま今日まできてしまいました
(街区の住民は16世帯あります、従って自治会の役員も16年に一度回ってきますが
2回目の役員(班長役)は去年終わりました)


子供の教育はママがしてくれましたので僕が近所の人を知るのは役員を任された時だけでした

・ 【しかも伊豆行きの大半はバイクでした】
20年も住んでいると行きかう人は知っているはずですが、街は大きく役員時代に知り合った
人と巡りあうのは皆無なのです、追い抜いていく人、向かってくる人は馴染みではありません
お爺じいちゃんがいたり、お婆ちゃんがいたりですが、高齢者はほとんど家からでません、介護で大変だったり
子供の成長にも何かしら問題があるはずです、問題はあるのにプライバシーは完全に守られて
お隣さんに相談する事はありません、味噌や醤油のやり取りもありません、挨拶程度は交わしますが、
皆さん見ず知らずの行きずり人達なのです
(会社勤めをしていた頃は全く人の交流がない街でありました)


ママはこの町に住むのが好きなようです、田舎で生まれても都会が好きな方がいます

・ 【近所に素敵な街路樹があるなんて20年間知りませんでした】
僕はどちらかといいますと北海道でも都会に住んでいましたが、田舎人が性にあっていると思い
伊豆の地を購入致しました、近くに海・山・川の自然がないと落ち着かないのです
ママも伊豆の地が好きですが完全にリゾート感覚です、現役で働いていますから、
この地で生活してストレスが溜まったら伊豆へという感覚でしょう
(僕は伊豆しか終焉地は無いような気がしています、伊豆に通うようになって16年住民表こそ
移していませんが、伊豆の住民なのです)


「こぶし」の眺めを見ていますと住んだだけとはいえ、藤沢にお墓もありますから「ふるさと」に違いありません

・ 【「こぶしの花」は伊豆では散っていました】
僕には2つの身近な「ふるさと」がある贅沢を享受していると考えていいのではないでしょうか
横浜の地元には3人の息子もいてそれぞれ近くにおります、兄弟も仲が良く孫も200mの距離にいます
俗に「スープの冷めない距離」なのです、日曜日に本宅に帰って、火曜日から伊豆に住む2重生活、
伊豆の比重が高くなっても、この街は僕にとって貴重な「ふるさと」と気がつきました

