・ 【富良野の太陽の里キャンプ場を抜け出ます】
朝もやたなびく「太陽の里キャンプ場」をこっそり抜け出ます、今日はパークゴルフ発祥の地である十勝平野の幕別まで行きます、
前夜お会いした芦別岳登山のお姉さんはテントとバイクを残して出発しておりました、ここでスーパーカブで来ているおじさんともお別れです
(スーパーカブのおじさんも旅の達人さんです、キャンプ場で釣りをして調理をしてワイルドにテント張っていましてカブで全国を旅しています)
この人は「もしもしカブよカブさんよ!」というブログを残しています、今頃はどの辺を旅しているのでしょうか?
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占冠で夕張岳に登って来たという、奈良県からきている登山のご夫婦から「虫よけスプレイ」を貰いました、これは上げる人がいなくて今もキャンカーの中に入ってます
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・ 【占冠で山登りの人が頂きました】
シイタケは貧乏ですから何でも頂きます、どうもありがとうございました、無事のお帰りを祈っています
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この辺では人気のあるお山です
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・ 【芦別岳が綺麗に見えています】
芦別岳をネットで参照しましょう
「北海道・夕張山地のほぼ中央に位置し、富良野市・芦別市・南富良野町にまたがる標高1,726 mの山。
山頂は、富良野市と南富良野町との境界にある。日本二百名山、および北海道百名山と北海道の百名山に
選定されている。」
山頂までは双子岩を回って6時間位かかるそうですが、日本の百名山に入っていません、北海道の百名山は利尻岳、トムラウシ山、羊蹄山、
羅臼岳、十勝岳、旭岳、雌阿寒岳の7峰です
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狩勝峠を抜けて新得駅前までやって来ました、車で行くとなだらかな峠ですが蒸気機関車の時代は難しい超えるのに難しい峠でした
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・ 【新得の駅前までやってきました】
蒸気機関車の「火夫」しのんで記念の像がありました、この像を何故か2,3年見てますね、屋根付きのSLが駅奥に保存されていました、
昔の通った狩勝峠はサイクリングロードになっていますし、トロッコ王国となって週末には家族連れで賑わっていますが、今年は見に行きません
(トロッコ王国ならば原動機で動いて、廃線跡の森の中を3km走るオフォーツクの仁宇布ですね)
急カーブと急こう配が続いて蒸気機関車には難所でした
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・ 【新得は鉄道の駅でした】
昔は難所の狩勝峠を越えるために、前に2連のSLが引っ張って後ろに1連のSLが押し上げていました、蒸気機関車は石炭と水の補給が必要なのです
(今は石勝線ができて新狩勝峠につながっております)
火夫の像はいくつかありました
「新得駅と金山駅の間にある狩勝トンネルは、鉄道にとっては大変な難所であった。
「十勝大百科事典」(北海道新聞社)によると、このトンネルは1907年(明治40年)開通したが、
延長954メートルの大部分が1000分の25という急勾配で、登りは補助機関車をつけなければならず、
トンネル内では高温で、やけどを負う乗務員もいたという。
そこで、国労は1947年、トンネルの改築や手当増額を要求。満足できる回答が得られなかったため、
48年5月から3割減車、5割減車の実力行使に入った。
北海道主要部と道東を結ぶ幹線だけに、新得駅には多くの貨車が滞留する大きな影響が出た。
争議は大量の処分者を出して終わったという。
その後、現在の狩勝トンネルが開通し、旧トンネルは役割を終えた。」
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朝もやたなびく「太陽の里キャンプ場」をこっそり抜け出ます、今日はパークゴルフ発祥の地である十勝平野の幕別まで行きます、
前夜お会いした芦別岳登山のお姉さんはテントとバイクを残して出発しておりました、ここでスーパーカブで来ているおじさんともお別れです
(スーパーカブのおじさんも旅の達人さんです、キャンプ場で釣りをして調理をしてワイルドにテント張っていましてカブで全国を旅しています)
この人は「もしもしカブよカブさんよ!」というブログを残しています、今頃はどの辺を旅しているのでしょうか?


占冠で夕張岳に登って来たという、奈良県からきている登山のご夫婦から「虫よけスプレイ」を貰いました、これは上げる人がいなくて今もキャンカーの中に入ってます

・ 【占冠で山登りの人が頂きました】
シイタケは貧乏ですから何でも頂きます、どうもありがとうございました、無事のお帰りを祈っています


この辺では人気のあるお山です

・ 【芦別岳が綺麗に見えています】
芦別岳をネットで参照しましょう
「北海道・夕張山地のほぼ中央に位置し、富良野市・芦別市・南富良野町にまたがる標高1,726 mの山。
山頂は、富良野市と南富良野町との境界にある。日本二百名山、および北海道百名山と北海道の百名山に
選定されている。」
山頂までは双子岩を回って6時間位かかるそうですが、日本の百名山に入っていません、北海道の百名山は利尻岳、トムラウシ山、羊蹄山、
羅臼岳、十勝岳、旭岳、雌阿寒岳の7峰です


狩勝峠を抜けて新得駅前までやって来ました、車で行くとなだらかな峠ですが蒸気機関車の時代は難しい超えるのに難しい峠でした

・ 【新得の駅前までやってきました】
蒸気機関車の「火夫」しのんで記念の像がありました、この像を何故か2,3年見てますね、屋根付きのSLが駅奥に保存されていました、
昔の通った狩勝峠はサイクリングロードになっていますし、トロッコ王国となって週末には家族連れで賑わっていますが、今年は見に行きません
(トロッコ王国ならば原動機で動いて、廃線跡の森の中を3km走るオフォーツクの仁宇布ですね)
急カーブと急こう配が続いて蒸気機関車には難所でした

・ 【新得は鉄道の駅でした】
昔は難所の狩勝峠を越えるために、前に2連のSLが引っ張って後ろに1連のSLが押し上げていました、蒸気機関車は石炭と水の補給が必要なのです
(今は石勝線ができて新狩勝峠につながっております)
火夫の像はいくつかありました
「新得駅と金山駅の間にある狩勝トンネルは、鉄道にとっては大変な難所であった。
「十勝大百科事典」(北海道新聞社)によると、このトンネルは1907年(明治40年)開通したが、
延長954メートルの大部分が1000分の25という急勾配で、登りは補助機関車をつけなければならず、
トンネル内では高温で、やけどを負う乗務員もいたという。
そこで、国労は1947年、トンネルの改築や手当増額を要求。満足できる回答が得られなかったため、
48年5月から3割減車、5割減車の実力行使に入った。
北海道主要部と道東を結ぶ幹線だけに、新得駅には多くの貨車が滞留する大きな影響が出た。
争議は大量の処分者を出して終わったという。
その後、現在の狩勝トンネルが開通し、旧トンネルは役割を終えた。」

