・ 【稚内の道の駅でペントの「ちび太」を出します】
「ちび太」モンキーは今やかけがいのないペットなのです、再び外に出されて「ちび太」君は脚光を浴びています、ライダーから伊豆からモンキーですか?と
聞かれてもじもじしています、利尻島と礼文島は走るだけなら1日で稚内に戻ってこれます、高いフェリー代を物ともせずにライダーさんがやって来ました
(最近のライダーさんはビックバイクを駆使して、ホテルに泊まる人が多いです、貧乏ライダーで中古バイク乗って来る人は見かけなくなりました)
ライダーさんもホテル泊の人でした、最近ライダーハウスを利用する人は少ないです
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利尻、礼文の地図をまえにして今日からの自転車の人がいました、年配の人たちが走りもしないのに嬉しそうでした
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・ 【京都から自転車ですか?】
と聞いたら、いいえ自転車だけトラックに積んで我々は飛行機で稚内に飛んできたのです、自転車で利尻島一周するそうです
(京都から稚内まで自転車で来ると疲れはピークに達します、顔がほころぶはずはないのです)
ライダーさんのバイクもありましたが、大半の人はバイクを置いて渡ります、「ちび太」も料金は取られますが50ccなので料金は安いのです
(大型バイクで行くと青函フェリー並だと思います)
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・ 【たくさんのバイクが置いてありました】
フェリーは料金が高いのです
自転車はここで下されて各自に渡されました
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・ 【京都から自転車で来た運転手さんご苦労様でした】
自転車のフェリー代は50ccよりさらにお安いのです
フェリーターミナルは新築でピカピカでした
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・ 【バイク時代フェリー料金が高くて渡れませんでした】
いつの間にかフェリーターミナルは改築移転されていました、船も新造船のようです
フェリーは定時に出港です
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・ 【別れを悲しむテープはありません】
最近どこでもテープでの別れはないのでして、別れてもすぐに帰ってこれます
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・ 【やはり新造船のようでした】
何隻の船が就航して利尻、礼文を結んでいるのでしょう、礼文は観光地ですから天売島のように1艘で運用できるはずがありません
(船は利尻、礼文どころか樺太まで定時運行しています)
稚内の港を離れて船は利尻島を目指します
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・ 【エゾ鹿が戯れる宗谷丘陵が小さくなっていきます】
船はノッシャプ岬を回航するように稚内の街を回り込むように進みます
背後に利尻岳が覗いています
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・ 【利尻富士が丘陵を覗いていました】
これから利尻に向かう船としては利尻から離れるような錯覚ですが、船は稚内港を出ると大きくカーブしていきました
あの高い塔は灯台でもないし何でしょうか
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・ 【稚内市開基百年記念塔・北方記念館】
「記念館・塔が建設されたのは1978年である。これは1879年に現在の宗谷地方へ宗谷村が設置され、役所などが正式に置かれた
同年を稚内市の開基としてから100周年を記念し建てられたもの。稚内はその後1949年に市制が敷かれ、北海道内で14番目の市となる。
1978年7月1日に稚内市は開基百年、市制の施行より30周年を迎え、稚内公園にある丘陵に記念館・塔が建設されることとなった。
記念館が位置する場所は海抜170メートルの丘であり、塔は地上80メートルの高さの鉄筋コンクリート造で、外販の色は塗装ではなく
耐候性鋼の錆によるもの。地上1階部と2階部に北方記念館が置かれており、内部は主に稚内市や北海道北部に関連した資料が展示されているほか、
樺太に関連した資料もある。また、各コーナーに分かれた内部はテーマ別で構成されており、日本とロシアの友好を打ち出したものや
自然・動物などを題材にしたコーナーが特徴である。」
かつて樺太は日本の領土だったのです、連絡船も運航されておりました、北方4島には入っていません
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「ちび太」モンキーは今やかけがいのないペットなのです、再び外に出されて「ちび太」君は脚光を浴びています、ライダーから伊豆からモンキーですか?と
聞かれてもじもじしています、利尻島と礼文島は走るだけなら1日で稚内に戻ってこれます、高いフェリー代を物ともせずにライダーさんがやって来ました
(最近のライダーさんはビックバイクを駆使して、ホテルに泊まる人が多いです、貧乏ライダーで中古バイク乗って来る人は見かけなくなりました)
ライダーさんもホテル泊の人でした、最近ライダーハウスを利用する人は少ないです


利尻、礼文の地図をまえにして今日からの自転車の人がいました、年配の人たちが走りもしないのに嬉しそうでした

・ 【京都から自転車ですか?】
と聞いたら、いいえ自転車だけトラックに積んで我々は飛行機で稚内に飛んできたのです、自転車で利尻島一周するそうです
(京都から稚内まで自転車で来ると疲れはピークに達します、顔がほころぶはずはないのです)
ライダーさんのバイクもありましたが、大半の人はバイクを置いて渡ります、「ちび太」も料金は取られますが50ccなので料金は安いのです
(大型バイクで行くと青函フェリー並だと思います)

・ 【たくさんのバイクが置いてありました】
フェリーは料金が高いのです
自転車はここで下されて各自に渡されました

・ 【京都から自転車で来た運転手さんご苦労様でした】
自転車のフェリー代は50ccよりさらにお安いのです
フェリーターミナルは新築でピカピカでした

・ 【バイク時代フェリー料金が高くて渡れませんでした】
いつの間にかフェリーターミナルは改築移転されていました、船も新造船のようです
フェリーは定時に出港です

・ 【別れを悲しむテープはありません】
最近どこでもテープでの別れはないのでして、別れてもすぐに帰ってこれます

・ 【やはり新造船のようでした】
何隻の船が就航して利尻、礼文を結んでいるのでしょう、礼文は観光地ですから天売島のように1艘で運用できるはずがありません
(船は利尻、礼文どころか樺太まで定時運行しています)
稚内の港を離れて船は利尻島を目指します

・ 【エゾ鹿が戯れる宗谷丘陵が小さくなっていきます】
船はノッシャプ岬を回航するように稚内の街を回り込むように進みます
背後に利尻岳が覗いています

・ 【利尻富士が丘陵を覗いていました】
これから利尻に向かう船としては利尻から離れるような錯覚ですが、船は稚内港を出ると大きくカーブしていきました
あの高い塔は灯台でもないし何でしょうか

・ 【稚内市開基百年記念塔・北方記念館】
「記念館・塔が建設されたのは1978年である。これは1879年に現在の宗谷地方へ宗谷村が設置され、役所などが正式に置かれた
同年を稚内市の開基としてから100周年を記念し建てられたもの。稚内はその後1949年に市制が敷かれ、北海道内で14番目の市となる。
1978年7月1日に稚内市は開基百年、市制の施行より30周年を迎え、稚内公園にある丘陵に記念館・塔が建設されることとなった。
記念館が位置する場所は海抜170メートルの丘であり、塔は地上80メートルの高さの鉄筋コンクリート造で、外販の色は塗装ではなく
耐候性鋼の錆によるもの。地上1階部と2階部に北方記念館が置かれており、内部は主に稚内市や北海道北部に関連した資料が展示されているほか、
樺太に関連した資料もある。また、各コーナーに分かれた内部はテーマ別で構成されており、日本とロシアの友好を打ち出したものや
自然・動物などを題材にしたコーナーが特徴である。」
かつて樺太は日本の領土だったのです、連絡船も運航されておりました、北方4島には入っていません

