世界遺産となった韮山反射炉に行って来ました
・ 【ママには面白くない建物かも知れません】 幕末期に品川のお台場に据えた大砲を作りました、国の実力の最後は兵器で決まるのです (反射炉は90度向かい合って作られ、溶けた鉄が1か所に集まるように配置されてました) 鋳型に流し込まれた大砲を水車を使って,丸1か月掛けて中ぐり加工をしたそうです、ここで製造される鉄以上の固さを 持った刃物があったのも不思議です ・...
View Article反射炉を作った江川代官の屋敷でした
・ 【江川代官は幕末の知識人を代表していました】 幕末には勝利した側に優秀な人が沢山いたようですが、幕府内部にも優秀な人がいたのです、銀行を作った渋沢栄一など違って 軍事にたけた人物もおりました、彼らは動乱後も生き抜いて日本の近代化に貢献しておりました ・ 【ママはこれ以上武器に関する事は限度オーバーです】...
View Article伊豆から帰る時、残暑厳しく大磯海岸へ出て見ました
・ 【ヘルメット姿ですから海水浴はできません】 海水浴なんて老人には関係がありません、最後の海水浴は60歳頃で終わっております (暑いですが、一人で水に入ろうとは思いません) ・ 【釣り船がこんな近くまで寄っていました】 こんな近くで釣れるものと言ったらアジ、サバ程度しか記憶が浮かんで来ません、ボラなどは船まで出して釣る釣り魚ではないと思います...
View Article横浜に新名物が出来ました
・ 【みなとみらいにロープウエイが出来てます】 JR桜木町駅駅前からロープウエイが伸びています、去年に出来たと思いますが乗るチャンスが無かったのです、本日ママを誘って 乗って見ないとお誘いしましたら、ママの返事はそっけない物になって、僕一人で行くことにしました (一人ではゴンドラに乗る気が全く起こらないので下から眺めます) ・ 【JR桜木町の駅前から出ています】...
View Article横浜港には銃撃戦で沈められた不審船が展示されています
・ 【工作船とは北朝鮮の漁船に似せた船の事です】 漁船にカモフラージュとは言いますが、鉄板は薄く軽量に出来上がって内部には小さいモーターボートまでが格納されてました (日本の沿岸警備艇と銃撃戦があった後に沈められました、船には銃撃の跡が無数に残されておりました) ・ 【中にモーターボートが内蔵されていました】...
View Article横浜には大型のクルーズ船が停泊する大桟橋があります
・ 【横浜ベイブリッジを潜れない大型の観光船もあります】 ブリッジの高さがエリザべス2世号に合わせてますので、10万t以上の観光船は横浜港に入港できず、お隣の本牧埠頭(貨物用)に着岸と聞きました ベイブリッジを設計した時20万tの船が出て来るとは想像できなかったのです (横浜の顔であるベイブリッジを通過できなくコンテナが沢山あって味気ない港に到着する観光客の日本の印象は...
View Article山下公園は変わりません
・ 【当時は何も分からず、ベンチに座る男女を眩しく見ていました】 関東大震災ででた瓦礫を海に埋めて作られた公園です、海に出た突堤のベンチに座るカップルはこの事実を知ってるのでしょうか 学校を飛び出し何故デモに参加しているのか分からずに友達に誘われるままに参加しておりました、考えて見るとそれが...
View Article10日ぶりの伊豆でした
・ 【伊豆に来るとまずやるのは雑草との格闘です】 伸びてはいますが、9月に入るとさしも雑草も伸びるのが遅くなってきました、これで少しは庭掃除が楽になります (庭仕事など人に頼んでやって貰ったらの声も聞こえますが、年金生活ゆえ頼むわけには行かないのです) ・ 【誰もいない庭で一夏咲いてくれました】 雑草で花も覆われてしまたかと思いました、けなげに花は咲きの残ってました...
View Article山下公園の奥にあるのが、港が見える丘公園です
・ 【丘ですから結構登って行きます】 洒落た通りの元町の外れを上がって行くと港が見える公園にたどり着きます、運が良ければホテルで結婚式をあげるウエデイング姿のカップルと遭遇です (僕ならこっぱずかしい所ですが、最近の若者は堂々としています) 港が見える丘公園なのか、港の見える丘公園なのかいつも迷います ・ 【中にはバラ公園もありますが、今は時期ではありません】...
View Article港が見える丘公園を出ると横浜の高級住宅街が広がってます
・ 【港が見える丘公園のお向かいが外人墓地なのです】 公園を出ると丘の背中にでます、左に降りれば根岸・本牧あたりでしょう、右に降りれば元町や中華街が広がります (横浜を代表する高級住宅街が広がっています) ・ 【元町公園を左に降りて行くと繁華街が広がります】 横浜に来れば青や黄色やピンクのネオン街に囲まれて下宿を構え、下を通るはフェリスの学生さんなんて夢見て...
View Article伊豆の白浜の砂は何故白いのかしら?
・ 【伊東の浜は黒くて重いですが、白浜まで来ると快適なビーチとなります】 河津川を渡ると砂浜は白く輝きだします、伊東の浜とは大きく違ってさらさらビーチになります、伊豆は土肥金山で有名な所で 土肥の町を外れても金鉱跡が存在しています、最も伊東に近い所では今は人が殆ど住んでいませんが、江戸の時代には1万人の人がいたと言う...
View Article下田:爪木崎の自然公園にやってきました
・ 【夏も終わりですから更衣室も空いていました】 皆さんはここで着替えて海まで歩いて行きます、白砂のビーチではない海ですが、海に近い駐車場は有料となっていました (爪木崎は野水仙の乱舞で有名な所です、12月になったら咲き始めると思います) ・ 【展望台では草刈り作業の真っ最中でした】...
View Article下田の須崎漁港には自己責任で見て下さいとの看板もありました
・ 【下田;須崎漁港の上には瀟洒な住宅街がありました】 爪木崎に行く途中に分かれ道があって、須崎漁港は半島の下田側に位置しております ・ 【防波堤の外は波がしらが立ってました】 外海の高い波が防波堤に打ち付けていました、立派な釣り船や漁船が港を囲んでいました ・ 【正面が恵比寿島になります】 外海と比べれば港は静かな表情です ・...
View Article南伊豆のビーチです
・ 【多々戸浜海水浴場】 下田の近くに鍋田浜があります、下田に住むなら鍋田浜というぐらいの所ですが、鍋田浜は入江で波を防いでいますが 多々戸浜は外洋に面していて高い波に恵まれるビーチで鍋田浜の隣になります ・ 【更に高く波は迫ります】 絶好のサーファーポイントだと思います、サーフィンはやったことがないのでわかりませんが、大波が押し寄せていました ・...
View Article南伊豆の最後のビーチ:弓ヶ浜までやってきました
・ 【南伊豆の最後のビーチとなります:弓ヶ浜】 弓ヶ浜は白砂が広がる絶好のビーチですが、コロナ禍で今年も人出が少なかったとスタンドのおばさんは嘆いてました (弓のような湾が広がる美しいビーチです) ・ 【昔の賑わいを知ってる人には少し寂しい】 ビーチ前の売店も休業していますし民宿街も寂しくなってました、公衆浴場が1軒あって温泉なのですが人の気配はありません...
View Article西伊豆に入って妻良・子浦の漁港に入っていきます
・ 【妻良の海も昔は活気がありました】 何もない石廊崎をバイパスして西伊豆に入って行きます、今日は先日の大水で被災した雲見の集落の状況をみるつもりです ・ 【子浦にも横浜の臨海学校があった筈です】 土産物屋さんもなくなり、漁港は整備されて立派になりましたが活気がありません ・ 【下に伊浜の集落が見えてます】...
View Article先日の大雨で洪水に見舞われた松崎町:雲見地区の集落です
・ 【水こそ引きましたが、茶色の水が今でも流れてました】 洪水はあらかた収まりましたが、茶色く濁った海がそのままですし、川にも重機が入って作業を行ってました (洪水は松崎町で発生しましたが、正確にいいますと雲見の集落で発生しました) ・ 【夫婦岩の綱が切れていました】...
View Articleマーガレットライン(松崎~雲見)も50年変わらずです
・ 【カーブごとに石像が立っています】 石像は綺麗になってますから、メンテナンスされていると思います ・ 【見えてる先が松崎の町です】 雲見から断崖をくねくね走ります、海を見ながら走るには雲見に向かうより雲見から来る方がいのです (毎年少しづつ工事が加えられてカーブが緩くなっています) ・ 【左手に駿河湾を見ながら走ります】...
View Article宇久須港から仁科峠を目指して登ります
・ 【仁科峠手前の西天城峠に上がります】 西天城峠の標高はどれくらいあるのでしょうか、ソフトクリームを頂いたお店の人が下界とは温度が5度違うねと言ってました (下に見えるのが宇久須の町です,ここに来るのに松崎からでも上がれますが悪路の峠道ではここの方が走り易いのです) ・ 【手前の茶店でソフトクリームをごちそうになります】...
View Article仁科峠に着きました
・ 【良い道とは植樹祭でブルトーザーが入って急にできた道です】 天邪鬼の僕は昔からの林道の方に針路をとりました、あの時は舩原峠から植樹祭会場までの何もない所に 急にブルトーザーが入って道を切り開いていったのが記憶に残ってます (その後何回か警察が三島まで皇室送迎の練習をやっていました) 従って松崎から仁科峠、舩原峠、西伊豆スカイラインに入って戸田峠まで西伊豆の稜線が繋がっています ・...
View Article