・ 【道の駅:鵡川さんはノーベル化学賞を受賞した記念館がありました】
偉大な方を生んだ地でした、北大の鈴木章さんという人です、なんべんも説明を読みましたが僕にはチンプンカンプンで理解できません
・ 【秋の日曜前日とあって屋台のお店が10台ほど明かりを照らしておりました】
朝には皆さん帰ってしまいました
・ 【結構な数のキャンカーがありました】
10月に入るまで居ますから車旅のベテランばかりです
・ 【ホテル・温泉・レストランと広い駐車場がありました】
北海道から離れる最後の地:苫小牧から大洗や八戸、仙台、名古屋、舞鶴・新潟、秋田のフェリーが出ています
高速道路を飛ばし、SAでは優雅に朝食です、遅いキャンカ―では仁木町に着いたのはお昼頃でした
・ 【お世話になったおばさんのお墓でした】
母のすぐ下の妹でした、僕にとっては優しい仁木のおばさんでした
・ 【おじさんは88才、おばさんは70才で亡くなりお葬式にも参列しました】
従妹兄弟として長男の泰彦君が亡くなったのは両親にとって悲しい出来事でした
・ 【花を持って来なかったのでタンポポを添えました】
ママが来たからこそ気が付くのです、バイク時代も花など添える事に気が付きません、おばさんは綺麗な人でしたから花が似合うのです
・ 【おばさん、姉の母はまだ生存しています】
99才で役所から白寿の表彰が来ました、100才まで頑張って生きて貰いたいです
(本当に人生100年時代に突入です)
・ 【仁木町は今ではフルーツ王国と言われるようになりました】
今はぶどうの収穫もほぼ終わり、初夏にはさくらんぼ、千両梨、リンゴの他にブルーベリー、プルーンまでが獲れます
仁木町には自慢フルーツパークがあって賑わいます、本州の山梨県のような所です
・ 【園内にはブドウやリンゴが植わってますが、獲ってはいけません】
誰でしょうか、ぶどうの実をつまんでいるのは?
・ 【バラ園もありましたが、北海道のバラはお終いです】
手入れさえ良ければ数輪の花が残っていますが、フルーツパークでは余りバラには熱心でないように見えました
(緑の芝生広場が目を心を癒してくれます)
・ 【背後にあるのはブルーベリーと仁木の町です】
果実を摂らないように注意書きがありました、フルーツパークのブドウの収穫は終わっていましたので1粒失敬すると
ママからすかさずイエローカードが飛んで来ました
(全ては僕が悪いのですが、昔従兄弟と一緒に食べたもぎたてを思い出しました)
・ 【植物園もありましたが、中心はフルーツなのです】
今その従兄弟はブドウが嫌いになっています、その時種を出さないで食べたので消化されない種粒がお尻から出なくて
おばさんがシャジで救った思い出を話してくれました
(古い事でもあり誰の事か分からなかったのですが、今回その人物が判明しました)
・ 【昨日の焼肉が残っていて僕はこれで十分です】
トマトも最後のシーズンに入ってきました
隣町にはワイン工場もありました
・ 【余市は仁木町の隣町で近在では大きな町です】
ワイン工場があったので覗いて行きましょう
・ 【絵本作家がいるようでした】
メルヘンの世界に突入でした
・ 【余市観光の定番と言えばニッカウヰスキーなのです】
一度入ってますから今回は別の余市観光にいきます
・ 【函館本線の中核駅で昔は急行も停まってました】
函館から札幌方面は室蘭線回りとなってしまいました、北海道経済は札幌、千歳、苫小牧、室蘭が中心なのです
(太平洋岸は表の日本で日本海側は雪の降る裏日本なのです)
・ 【列車ダイヤもおおむね1時間に1本です】
余市から先はさらに本数が少なく長万部で直通で行く列車はありません
・ 【塩サケが1本1200円で売られていました】
安売り店の柿崎商店で売られてました、北海道は秋鮭シーズンで釣り人が沢山巡ってます
・ 【珍しい2重の虹でした】
中国人がレインボーレインボーと連呼して感激してました
ウクライナに続いて中東でも戦争が勃発してしまいました、ハマスはこの時期何故このような残虐行為をしたのでしょうか
イスラエル側の犠牲者も沢山でて、全世界にいるユダヤ人も戦争に参加すべく集まってました、予備役が30万にものぼる
と言われております、中東戦争は何度も起きていますが、今回のハマスの攻撃だけは不当のような気がします
(ガザ地区の住民は全てハマスに頼って分けでなく、イスラエルの攻撃は地上軍の侵攻も前提となるようです)
ハマスの人が首を切られる野蛮な行為はやめて貰いたいが、戦争となると本気になったイスラエル軍にかなう訳ないと思います